
宇和島と言えば?という質問で名前があがるものの1つが闘牛だ。闘牛大会が近づくと、市内の至ところで大会のポスターを見ることができる。
市内中心にある宇和島駅には闘牛の銅像が立ち、市民が牛を誇りに感じていることが伺える。
この闘牛に欠かせない存在―、それは牛と共に闘う
勢子だ。

勢子は、自分の体重の15倍以上にもなる牛が一心不乱に闘う傍らに、ぴったりと付いて闘いを援助する。
もちろん、巻き込まれようものならひとたまりもない。一瞬でも気を抜けば命を失いかねない、死と隣り合わせの世界に身を置く。

現在、宇和島の勢子協会の登録者は25名。牛耳るのは会長の上甲克宏さん。
上甲さんは牛と共に生きてきたと言っても過言ではない。農作業のために自宅で牛を飼育していたので、物心の付いた頃から牛が傍らにいて当たり前の生活を送ってきた。
上甲さんの幼い頃は、近所で牛を散歩させる光景をよく目にしていたという。宇和島の至るところで稽古土俵が行われ、皆自分の牛を連れて集まり、力を競わせては勝利すると鼻を高くしていた。
強い牛の飼い主はさぞ誇らしかったことだろう。
自分の牛は自分で世話をするのが当たり前で、よく世話をされた牛はやはり強かったらしい。
上甲さんが小学生の頃の出来事。
後ろから竹でつついて牛を追っていた時、何が気に触ったのか、突然怒り出した牛に腕を蹴られてしまった。
大事には至らなかったものの、このことがきっかけで自分の牛は自分でしっかり管理していかないといけないと強く意識したという。
本格的に勢子を始めたのは25、26歳の時。
稽古土俵で「この牛に付いてやれや。」と言われ、勢子を勤めたのが始まりだった。
幼い頃から牛の傍らで育ってきたため、抵抗はなかったという。
勢子になったのは自然の成り行きといえる。
上甲さんのように牛を飼っている者が勢子をすることはめずらしくない。
勢子になるための試験はないし、当たり前のように皆勢子をしていた。

「救急車には6回乗ったんよ。」
生きているのが不思議な回数だ。救急車に乗らずとも、危機的な状況は山ほどあったろう。
一体どれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか。
「行き足が立ったら一緒に追い込んでやる。」
「やたらおらんだり(大声を出したり)するもんじゃない。」
「牛の調子に合わせて行くときに、一緒に呼吸を合わせ追い込んでやるんよ。」
「弱った時に一緒に付いてやるのが勢子の腕よ。」
上甲さんは次々と勢子のコツを教えてくださった。
数をこなし、経験を重ねながら身に付けてきた技を、こうして後を継ぐ勢子達に伝えているのだろう。
勢子である喜びを実感する瞬間を尋ねると、「そうやな〜・・・」と言葉を詰まらせた。
勝った瞬間は嬉しいが、強い喜びは感じないという。
危険な闘いが終わった後は、嬉しさよりも緊張が解けた安堵感の方が強いのかもしれない。
それでも勢子をやめられない魅力が、闘牛にはあるに違いない。
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定期闘牛大会の開始時間前に行われる出場牛のお披露目。
早目に闘牛場へ行くと、試合直前の闘志みなぎる闘牛の様子を見ることができる。

勢子会長
上甲 克宏さん
生まれも育ちも宇和島で、本職は庭師。
いつもにこやかでおだやかな表情からは、厳しい世界に長年身を投じてきたようには思えない。

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